MARO LURE
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〜History〜
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1954年4月生まれ。6才の時、父に連れられ渓流釣りを始める。初めて釣った魚は岩魚。
その後、釣りとラジコン飛行機に没頭する。
1972年4月、18歳の時、東京へ上京し、ラジコン関係の仕事に就く。
1973年、20歳の夏、ルアーとフライフィッシングをほぼ同時期に始める。
1976年、好きが高じて釣具店のルアーフライコーナーで働くようになる。
1980年、釣り仲間三人で町田市にルアーフライショップ・キングフィッシャーをオープンさせる。
1981年、ハンドメイドルアー・摩呂の製作を始め、週二回ペースでフィールドテストを様々な湖で行なうようになる。魚はどんどん釣れるようになっていく。
1982年、マロルアー(摩呂ルアー)を分けて欲しいと言われるようになり、販売を開始する。
1984年9月、独立し、ルアー作りを生活の生業とするようになる。マロスティックの発売開始。
1989年、プラスチック製ルアーをT社より発売。この頃から慢性胃炎で体調が悪くなる。
その後、ルアー作りに励んでいたものの、釣りに行く途中に自動車事故に遭い、むち打ち症に苦しめられる。
1994年10月、40歳の時、20年間住み慣れた神奈川県を離れ、現在の弟子屈町へ移住。
マロルアーシリーズやジグヘッド等小さな釣具メーカーとして製造を続ける。
1996年には工房の一角でルアーフライ用品の小売りを始める。徐々に商品が多くなり、
1998年には、ほぼルアーフライ用品販売一本となる。北海道に来てからは、毎日釣りとラジコンと商売に明け暮れるようになる。体調も徐々に良くなり、普通の生活が出来るようになった。
2005年、現在販売されているプラスチック製ルアーについて多々考えることが多くなってくる。
2008年、ハンドメイドルアー・マロの製作の再開を考える日々が増える。プラスチック製ルアーにはない、ハンドメイドルアーならではの奥深い仕上げやアクション、使う人々に感じてもらえるコンセプト等々。
2010年、私も4月で56歳になった。若い頃のように身を削って売るようなルアーの作り方はもう出来ないが……。自分が考え蓄積したデザインのルアーの製作を少量ながら始める決心をした。
琵琶湖で上がった世界記録?のフロリダバスも、バス好きの自分として大きな衝撃となったことも事実である。自分のバスの記録は、ノーザンラージマウスバス58cmを、マロペン110 オイカワ♂、アルミで釣ったのが最大。フロリダバスを釣りたいし、レークやブラウンもまた釣りたい! という気持ちが高まって来ている。
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製作者プロフィール
南 祐 二
yuji minami
懐かしいマロの手書きパンフレット……
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